西武ライオンズの山田遥楓(やまだはるか)選手が難聴だということを知り驚き、山田選手のことがもっと知りたいと思いこの記事を書くことにしました。
スポーツ選手にとって聴力は非常に大切です。
山田選手はどうやってこのハンディキャップを乗り越えてプロにまでなったのでしょうか?
山田遥楓(やまだはるか)プロフィール
生年月日:1996年9月30日
出身:佐賀県佐賀市
身長:179cm
体重:72kg
中学校:佐賀市立鍋島中学校
高校:佐賀県立佐賀工業高等学校
2014年にドラフト会議にて西武ライオンズから5位指名を受ける
生まれつき右耳が難聴で聴力がゼロ
山田遥楓選手は、生まれつきの難聴で、右耳が聞こえないそうです。
右耳が聞こえないと分かったのは3歳の時。
ご両親は、野球をすることでボールが当たったりして、聞こえる左耳まで聞こえなくなったら…という不安に常につきまとわれたと話していました。
中学時代
小学校で地元佐賀の少年野球チームで抜群の運動神経を発揮し、チームの中心選手として活躍していた山田選手は、中学校でも野球部に入部します。
入った先はレベルの高い選手がたくさんいる強豪校。
山田選手は持ち前の運動神経で、守備で高い評価を得ます。
一方打者としては、なかなか評価されず悔しい思いをしました。
ボールが頭に当たって、聞こえる左耳まで悪くなっては危ないという声もあったことも辛いことだったそうです。
高校入学
中学校での悔しさに負けず、山田選手は高校も野球の強豪校に入学します。
高校の元監督の話
試験が入学の合格発表があった後にですね
https://www.nhk.or.jp/heart-net/program/rounan/361/
発表の後に あの子が佐賀工業のグラウンドに一人で来まして まだ学生服ですよね
中学3年生が私に対して
「監督はどういう野球をされますか」って
そんなことを中学3年生が聞くんですよ
なんだこいつはと しかし本気の目で聞くんですよ
だからもう ちょうど中3でそういった事をですね
どんな野球を監督はされますかっていう
私はびっくりしました
ここから更に山田選手は努力を重ねます。
高校での山田遥楓選手のすごい努力3つとは
帰ってからもずっと練習
山田選手は、部活の練習から帰ってからも、自宅で更に深夜まで練習をしていました。
お父さんにお願いして自宅の倉庫に練習場を作ってもらい、そこで深夜までバッティングの練習をしていました。
それこそ毎日休むことなく、ご飯以外の時間は練習に励んだそうです。
右耳が聞こえなくてもキャプテンに
なんと山田選手は高校時代キャプテンをしていました。
部員は108名という大所帯。
右耳が聞こえないことから、スムーズに会話にならないこともあったそうですが、そんなときは何度も聞き返したり、チームメイトの近くまで言って会話をしたりと努力を続けました。
控えの選手に手紙を書く
山田選手は自身が中学生の時に、成績が思うように伸びなかったことがあり悔しい思いは人一倍理解できることから、控えのチームメイトへの配慮を欠かしませんでした。
手紙を書いて励ましたのです。
3年生でもベンチ入り出来ないメンバーが20人近くいたと思うんですけど
https://www.nhk.or.jp/heart-net/program/rounan/361/
そのメンバーが違う方向を向いたりしてしまうとダメなので
みんなが同じ方向を向いていくっていう気持ちを込めて キャプテンとして
そういう選手たちも一緒になってやらないと勝てないと思ったので書きました
自分もハンディキャップがあって、しかもキャプテンという重要な位置にいて大変なのに…、なかなかできることではありません。
すごいと思います。
こういった並々ならぬ努力の結果、2014年10月。
山田選手は ライオンズから5位で指名を受けプロ入りし、 大きな夢をつかんだのです。
山田選手への応援の声
山田選手のハンディキャップを感じさせない明るさと、ハンディキャップを乗り越えるその姿に勇気をもらっている人がたくさんいました。
まとめ
山田遥楓選手のことが気になって調べてみましたが、素晴らしい選手ですね。
これからも山田選手の活躍と明るい笑顔をたくさん見たいです。
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