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西原理恵子の生い立ちが壮絶でヤバかった!実父はアル中、養父は自死!

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「毎日かあさん」や、高須クリニックの高須医院長との交際で有名な西原理恵子さん。

とても豪快で才能あふれる方で、西原理恵子さんのように生きたいと憧れる女性も多くいます。

そしてそんな西原理恵子さんがどんなふうに育ってきたのか気になる方もいるのではないでしょうか?

ということで西原理恵子さんの生い立ちについて、簡潔にまとめてみました。

目次

生まれ

写真はイメージです

生まれは高知県高知市浦戸という漁師町です。

1964年11月1日に西原理恵子さんは誕生しました。

西原理恵子さんのお父さんは、入退院を繰り返すほど症状の重いアルコール依存症だったようです。

それが理由なのか、西原さんのお母さんは、西原さんを妊娠中に離婚をしています。

西原さんの実父も入退院を繰り返すほどのアルコール依存症だった。母は西原さんを身ごもっている間に実家に戻り、出産。実父は彼女が3才の時、一度も会わないままに他界した。

NEWSポストセブン

わたしの血のつながったお父さんは、お酒を飲むと手がつけられないほど暴れたらしい。お母さんは子どもたちを守るために離婚して、自分が生まれた町に帰ってきた。お父さんはアルコール依存症で、わたしが三歳のときにドブにはまって死んだ。だから私には血のつながったお父さんの記憶がない。

https://www.fuanclinic.com/

なんと驚いたことに西原さんは実のお父さんに一度も会ったことがようです。

浦戸には6歳まで住んでいました。

母親の再婚

6、7歳の時にお母様が再婚しています。

お義父さんは西原さんを我が子のように可愛がったそうです。

西原さんが私立土佐女子高等学校在学中、飲酒で自主退学を促された時に納得がいかず学校側を訴えたことがありあますが、この時の裁判はお義父さんが支援してくれています。

「理恵子の話は本当に面白いなぁ。この子は絶対に人と違う人生を送るから。」…漫画家・西原理恵子の原点は、6歳の時にやってきた義父の存在。博打と女に入れ込み、何十もの仕事を転々とし、家族を翻弄する「サイテーおやじ」でありながら、血のつながらない娘に深い愛情を注いでくれたといいます。
オヤジは、西原さんが高校で飲酒をして強制退学を迫られた際、こう励ましました。「どうしても納得がいかないなら、裁判して闘ってみろ。オレは理恵子のことをいちばんよく知ってる。ずっと信じてるから。」

https://www2.nhk.or.jp/

しかしお義父さんはギャンブル好きで仕事を転々とする人でした。

「とにかく来る日も来る日もバクチばっかりしてる人だった。
 せっかくお母さんと再婚したのに、ほとんど家にも帰ってこない。本当に一週間に一度くらいしか家に帰ってこなかったからね。そのあいだ、どこで何をしているのかも、さっぱりわからない。
 これじゃあお母さんだって、たまらないよね。しかも、お父さんはバクチをするために、お母さんの貯金にまで手をつけるようになった。それでお母さんも荒れちゃって、いつも怒ってばかりの人になっちゃった。」

https://www.fuanclinic.com/

西原さんのお義父さんの最後も壮絶です。

借金でクビが回らなくなっての自殺、しかも西原さんの大学受験の日でした。

「夢にチャレンジするはずの日に、お父さんが死んだ。
 受験なんかできるはずがない。
 電話で呼び戻されたわたしが高知の家にとって返すと、喪服を着たお母さんがいた。顔は殴られて、ぼこぼこに腫れて、頭も髪の毛も血だらけだった。」

https://www.fuanclinic.com/

西原さんのお母さんは、お義父さんの保険金から100万円を渡し、育った町から出て新しい人生を歩むように言います。

そして西原さんは再び美大を目指し、東京に出ることとなりました。

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東京での生活

上京した西原さんは、再び美大を目指し、予備校の立川美術学院に通います。

しかしこの予備校ではクラス最下位を取って、絶望した時期もありました。

西原さんは予備校時代、お母さんからもらった100万円だけでは生活出来ないため、アルバイトで生計を立て、何十社もの出版社へイラストを出すなど、たいへんな努力をしています。

西原さんは予備校時代にアダルト本のカットを描き始めています。

そして予備校に一年通って晴れて武蔵野美術大学造形学部視覚伝達デザイン学科に合格しました。

しかし、美大でもレベルの高さ、才能の差に愕然とし、苦悩したようです。

自分にできることは何か、を常に模索した西原さんを救ってくれたのはエロ本業界でした。

エロ本業界では、私が美大の女子大生だという物珍しさもあったでしょうが、大変可愛がっていただきました。そして、飛びぬけた絵の才能をもたない私がこの世界で生きていくためのヒントを教えてくれたのも、この業界です。

https://webarchive.musabi.ac.jp/

西原さんはエロ本業界で努力を続け、なんと大学3年のときには、目標であった月収30万円を超える収入を得るようになっていました。

西原さんは大学を中退することも考えたようですが、これにはお母さんが大反対したそうです。

お母さんは「授業料は払うから絶対に卒業してくれ」そう泣いて西原さんを説得しました。

漫画家デビュー

西原さんが漫画家デビューしたのは大学3年生のときでした。

プライドをもたなかったので、どんな仕事も受けました。与えられた仕事を一所懸命にこなした結果、ほめてもらえる。そして次の仕事のオファーがくる。私はただ、ほめてもらった方向に進んだだけ。結果的に大学3年のときには小学館から「ちくろ幼稚園」(週刊ヤングサンデー)でデビューが決定。大学4年のときにはさまざまな連載をもっていました。そのため、私はエロ本上がりのマンガ家であるということに誇りをもっています。

https://webarchive.musabi.ac.jp/

大学卒業後、パチンコ雑誌、麻雀漫画誌、漫画週刊誌などに連載を持つようになります。

1992年には『週刊朝日』誌上にミシュランのグルメガイドにも取り上げられるような高級レストランへマイナス評価をつけるグルメレポ漫画『恨ミシュラン』を発表し後に単行本・文庫本化もされました。

順風満帆に見える西原さんですが、ギャンブル雑誌にギャンブル漫画を描く為にギャンブルに手を出し、ギャンブル依存症になってしまい、デビューから10年で5000万円を失っています。

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鴨志田譲さんと出会う

1996年に企画された旅行体験ルポ漫画『鳥頭紀行』のアマゾン取材旅行で、カメラマンとして同行したフォトジャーナリスト鴨志田譲さんと出会います。

そして結婚し、一男一女をもうけました。

しかし、長男の妊娠後から、鴨志田さんは毎晩暴言や暴力するようになり西原さんは苦しみます。

鴨志田さんはアルコール依存症でした。

西原さんのお父さんはアルコール依存症でしたね。

父親がアルコール依存症、そして結婚相手もアルコール依存症だったという…。

鴨志田さんはお酒を飲むと暴れましたが、お酒さえ飲まなければいい人でした。

だから、毎日が修羅場でありながらギリギリの所で結婚生活は続きました。

しかしそれも限界が来て、平成15年に離婚します。

鴨志田譲さんと復縁

鴨志田さんは、西原さんと離婚した後、アルコール依存症を治そうと病院へ行きました。

そして精神科に入院し治療を受け、退院します。

治療してアルコール依存症から抜け出した鴨志田さんは、がんになってしまいます。

残り少ない時間を家族ともう一度過ごしたい、鴨志田さんは西原さんに復縁を申し出ました。

この人(高須さん)はお医者さんだから、毎日会って、元夫のアル中やがんについてもいろいろ相談していました。本当、「医者がそばにいるといいなぁ~~~!」って思った(笑い)。だけど、命が残り少ないことがわかった元夫が、家に戻りたいと言ってきているという話をすると、「彼を迎えてあげなさい」って言われたんです。「彼のためでなくあなた自身のために。そうでないと後悔する」って。

NEWSポストセブン

西原さんは仲の良かった高須医院長に相談した結果、鴨志田さんを受け入れました。

西原:この人のアドバイスのおかげで、元夫が亡くなるまでの最後の半年間は、家族が喧嘩せずに、子供と一緒にご飯が食べられるという生活が送れたんですよ。私も元夫もとんでもない育ち方をしたから、そういう家は初めてでした。だから、この人には本当に感謝してます。

西原さんの元夫は2007年3月に逝去。西原さんは未入籍のまま喪主を務めた。

NEWSポストセブン

鴨志田さんが亡くなった後、西原さんは大泣きし、更にはうつ状態になり3カ月間執筆できず、泣きながらの日を送ったといいます。

最後の時間を家族一緒に過ごし、きっとその時間が幸せなものだったのでしょう。

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高須医院長と交際

2012年10月11日発売の『女性セブン』での高須医院長との対談において、高須さんの奥様の死去後、2年間にわたって「交際」していることを明らかにしました。

知り合ったのは10年前だということです。

2018年8月より、高須医院長とは事実婚の関係にありますね。

敢えて入籍せず事実婚を選んだ理由として高須医院長は「籍を入れると何かあった時に全部不倫と言われる」と言っていて、西原さんもこの考え方に賛成しているようです。

西原さんと高須医院長の共著「ダーリンは70歳 高須帝国の逆襲」も話題となりました。

しかしこちらは2016年に「編集上の不備があった」として回収の対象となりましたが理由は明らかにされていません。

高須医院長とはその後もずっとラブラブで、ガンを患っている高須医院長をそばで支えている姿を応援している人がたくさんいます。

西原さんの受賞歴

1997年:『ぼくんち』で文藝春秋漫画賞

2005年:『毎日かあさん(カニ母編)』で文化庁メディア芸術祭漫画部門優秀賞、『毎日かあさん』『上京ものがたり』で手塚治虫文化賞短編賞を受賞。

2008年:第29回日本雑学大賞受賞。雑学倶楽部主催。

2011年:『毎日かあさん』で第40回日本漫画家協会賞参議院議長賞を受賞。

2013年:第6回ベストマザー賞(文芸部門)受賞。日本マザーズ協会主催。

まとめ

西原さんは波乱万丈という言葉を体現するかのような壮絶な人生を送っていました。
それにも負けず強靭な精神力で人生を切り開いてきた方でした。多くの女性が西原さんに憧れるのは当然ですね。
最後まで記事を読んでいただきありがとうございます。

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